私のやる気は、重力に逆らわない
体が重い。頭がズキズキする。尻から足にかけての付け根の筋がツーンとする。
とにかく、どこかしらがミシミシと音を立てて日常生活を地味に侵食する。背中はソファの角に凝りの部分を押し付けセルフマッサージ。これが、「ガタがくる」という現象なのか。
20代の頃にもひどい肩こりはあったが、今みたいに腕を大きくぐるりと回してゴリゴリっと音がするなど、なかった。体の痛む部分を伸ばすために重心を右から左へ、足を開いてグイッと捻る。両腕を大きく回して、逆回転させる。自然にラジオ体操をしている。
やる気が重力に勝てない。どんどん下がる。
何度も見たくなる思い出
自分との間に起きるエピソードが更新されないことが、寂しくて悲しい。
擦り切れたビデオテープのように、何度も何度も頭の中で思い出を再生して見続けるのは、悪いことではない。
再生したくなる思い出を残してくれたことに感謝すらする。
目の前で起きることが目まぐるしく変化する年ごろだと、失われたものよりも新しく誕生することの方が多いから、自然に傷口も癒やされていく。
日々の代謝が進まない年ごろになると、だんだん治りも悪くなる。
あるものより、なくなるものに対しての存在感が大きくて、気持ちが整理しきれないのだ。
特定の人物に対して、激しく感情が揺さぶられることは、貴重なことだ。
自分の感性がまだ、生きている。
それをわざわざ、確認する必要があるのか。
目をつぶって、通り抜けるのだ。
ゆらゆら
思い出の中 泳いで ゆらゆらと
あなたの滑るような 白い腕
あたしの心を 抱きしめて離さない
会いたいと思うより 示せる愛って、
あるのかな?
澄み切った水を泳ぐより
少しくらい 視界妨げるような
ハプニングがあるほうが
揺れる水面についていく 健気な恋
永続きしていいんじゃない
フラフラと 頼りなげに見える姿に
「運命」なんて重ねて
さよなら って言う 何度も何度も
練習してたね
誰にも言えない恋だったね
残ったのは傷じゃなくて 涙でもなくて
この海を泳ぎきる 少し切なく美しい力